【91日目】坂の上の雲、全巻読破

2022年8月9日(火)、午前0時から夜更かしをした。夜更かし前に8時間寝て、昼間も9時間寝た。夏バテなのか分からないが、ここ数日よく眠ってしまう。勉強や散歩などの日課はこなせても、それ以外のことに手が回らない。

 

散歩に出たのは18時から。宮之浦川沿いを歩いた。火之上山緑地も訪れた。つい2日前まで屋久島ご神山祭りが開かれ、多くの人で賑わっていた場所だ。提灯や露店は撤収され、祭りの面影は薄れたが、広場中央の櫓だけは寂しげに残っていた。

今日の宮之浦川。18時11分に撮影
火之上山緑地に残っていた櫓
櫓の横に出ていた月
火之上山緑地から見た夕暮れの景色

 

ついに、「坂の上の雲」全巻を読み終えた。最終巻も以前の巻と同様、あとがきが格好良かった。

 

あとがきのなかでも特に痺れたのは、著者の司馬遼太郎さんが小説そのものについて持論を披露した一文だ。「小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、それ以外の文学理論は私にはない」(司馬、1972、p.348)と記している。

 

長編小説を読み切ったという喜びとともに、寂しさも感じている。貴重な娯楽の1つがなくなったからだ。身のまわりには、家族・友人はおろか、テレビも車もWi-Fi設備もない。ないものだらけの生活において、坂の上の雲を読むことが大きな楽しみだった。

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