2022年8月26日(金)、午前6時に起きた。宮之浦港を訪れ、種子島行きのフェリーに乗った。種子島の西之表港に着いたのは、午前10時過ぎ。島に来たのは、ここでしかできない行政手続きがあったからだ。14時ごろに用事を済ませ、その後は島内を観光した。
西之表港の周辺を歩いた。屋久島のどの集落よりも都会的だった。平坦な土地に、中型の商業施設・ホテルが立っている。川の流れは、いたって穏やか。川の水は濁っていたため、底を覗くことはできなかった。
驚いたのは、ファミリーマートを2店舗も見かけたこと。屋久島にはコンビニがないから、つい興奮してしまった。メロンパンや冷たい蕎麦などを購入した。
一部の住宅には、屋根の端にしゃちほこのような装飾が付いていた。理由を知るべく、人に聞いたり、博物館に行ったりしたが、結局分からなかった。
月窓亭
月窓亭(げっそうてい)という西之表市の施設を訪れた。この建物は、1793年に種子島家の家臣が建設した。明治期以降は種子島家の住宅だった。
入館してまず、お茶とお菓子によるおもてなしを受けた。お茶は、月桃という植物から作ったもの。種子島固有の呼称なのか、スタッフの方は月桃を「シャネン」や「シャリン」と呼んでいた。
月桃のほか、ゴムの木やヘゴなど沢山の草木が植わっている。スタッフの厚意で、甘柿を取らせていただいた。方法はシンプル。細長い棒を枝に引っ掛け、捻り回す。枝が切れることで、高い場所にある柿の実を落とす仕組みだ。初挑戦の私は苦戦しつつも、なんとか1個取ることができた。
月窓亭では四半的を体験できる。四半的とは宮崎県日南市に伝わる弓術。一般的な弓道の競技より、的までの距離が短い。弓を大きくひく必要がないので、手軽にできる。スタッフが日南市の飫肥で学び、月窓亭で広めているという。
鉄砲館
種子島は鉄砲伝来の地として有名だ。1543年、漂着したポルトガル人によってもたらされた。そうした歴史のほか、種子島の文化や自然などを紹介しているのが、種子島開発総合センター「鉄砲館」。月窓亭から歩いてすぐの場所に立っている。
展示のなかで強調していたのは、火縄銃の部品であるネジについて。当時の日本にはネジに関する知識がなく、製作に苦労したという。八板金兵衛という鍛治職人が解決し、火縄銃の国産化に成功した。
ただし、時計やカラクリなど、火縄銃以外の製作物にネジの技術が転用されることはなかったらしい。その理由について鉄砲館の展示では、ネジが高価だったことを挙げていた。ネジ切り工具が未発達だった時代には、ヤスリでネジを1本ずつ削る必要があった。
鉄砲館では、「ヤクタネゴヨウ」というマツ科の木の存在も知った。屋久島と種子島だけに自生しているこの木は、数百年をかけて巨木に生長する。だが近年は、マツクイ虫の被害によって、個体数が著しく減っているという。屋久島で見てみたいと思うものの、果たして発見できるだろうか。